テキトーオッサン
昭和28年生まれ・東京都稲城市在住・会社員・本名、永野充

私が小学低学年の頃、サンキョーのピーナツシリーズと出会いました。
当時まだソリッドモデルが主流で、子供には難しくて作れませんでした、
ピーナツシリーズは30円で発売され、子供にも簡単に作れるプラモデルが誕生しました。
やがて各メーカーから発売されて、かたっぱしから作りました。
印象に残ってるメーカーはマルサンです、このメーカーは外国のキットを
手本にして色々なジャンルのプラモデルを世に送り出しました。

外国製のプラモデルを初めて見たときは、
頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受けました、
超精密なモールドで、眩しいくらいの輝のキットでした。
モノグラム・レベルは憧れのメーカーでした。

プラモデルは小学低学年から作り初めて
高校一年生まで作りました。

30年以上もプラモデルの事は頭から消えていました、
2000年にブラリと入った模型屋でモノグラム社が無くなってることを知り
とても寂しい気持ちになり、無くした過去を取り戻すかの様に
モノグラムのプラモデルを探し求めました。
模型屋巡り、オークションでゲット、優しい知人からのプレゼントで
数多くのモノグラムを手元に保存できました、
そんなキット達を、このサイトで紹介したいと思っています。

懐かしいプラモデルの箱絵やパーツ、説明書などを見て
タイムスリップしてください。

http://nagano.finito.fc2.com/

TAC
“TAC”  本名/宮本 拓

昭和40年、宮崎県の片田舎で生まれました。:平成以降は都内在住です。

幼い頃はミニカー集めに夢中になっていましたが、小学2年生になった頃……恐ら
く、当時夢中になって観ていた特撮映画や戦争映画の影響もあったのでしょうが、ミ
ニカーよりも大きくて、精密な模型が欲しいと思うようになり、元々モノを作るのが
好きだったこともあってプラモデルの世界へと入っていきました。

あの当時は、ゼンマイ、モーターライズ、そしてリモコンなど、さまざまな動力で動
くもの、そして動力は内蔵していないけれど各部が本物のように可動する楽しいトイ
的なもの、動きはまったく無いが、そのぶん細部まで本物そっくりに再現されたディ
スプレイモデルなどが模型店の棚の中でにぎやかに共存していて、少ないお小遣いを
何度も計算して、どれを買うか迷いに迷ったものでした。
面白いと思ったものはジャンルを問わず、片っ端から作って楽しみました。

ほんの少しオニイサンになった頃、海外の製品にも出会い、端正な仕上がりを見せる
国産品とはまた違った味わいに魅せられ、そしてその多くが次々と絶版になっていく
のを寂しい思いをしながら眺めていましたが、機会あるごとに古く懐かしい品々を見
つけて大切に保存するようになりました。

あれからカレコレ30年。

もうひとつの趣味である「映像づくり」がそのうち本職となり、煩雑な毎日を送りな
がらもプラモデルとの付き合いは続けさせてもらっています。

現代のキットは最新デジタル技術を駆使した大作映画の香りが、そして古典キットに
はモノクロ・ムービーの豊潤な香りがあると思っています。

最新の金型技術は「文明」。

職人の作った古典キットのメカニック表現は「文化」。

……そんなコトを考えながら、様々なキットを楽しんでいます。

各自の個性が存分に発揮できて、そして奥が深く、楽しみ方のキャパシティーが驚く
ほど広いプラモデルという趣味に出会えたことを、本当に幸運だと思っています。

現在、模型趣味と自主制作映像に関する情報公開のサイトを運営しています。

模型趣味は……

『映像業界模型趣味人協同組合バナナっ子クラブ(BANANA GUYs)』
http://www.tepproject.com/banana/

自主製作映画は……
http://www.tepproject.com/

――― この『ノスタルジックプラ模型博覧会』ともども、ぜひお楽しみください。

当サイトのイラストレーター
よしのよしお
昭和35年、東京都八王子で生まれ、現在は青梅に生息中。

初めて模型を組立てたのは、小学校1〜2年の頃。たしかLSの
「零戦21型」だったと思います。可動ギミックいっぱい夢いっぱい
のキットでした。接着剤べたべたで色なんか塗っていませんが、
お気に入りでよくブ〜ンして遊んでいたのを覚えています。

小中学生の頃、TVドラマ「コンバット!」を夢中で観ていました。
ちょうどタミヤが、ミリタリーミニチュアシリーズを次々とリリースして
いた頃です。(空前のAFVブームって、この頃でしたでしょうか。)
・・・「停車場の2日間」。この前後編は、停車場を守り抜く英軍が
主人公です。負傷しながらも毅然とした態度で指揮する英軍将校。
アメリカ軍の応援が到着した時には、すでに戦死していました。
エンディングに流れるバグパイプの音色が心に残る悲しい物語です。
わたしが英軍を好きになるきっかけにもなりました。

タミヤのMMシリーズは、どれもリアルで作りやすく感動の連続です。
英軍好きなんで、もちろん英国モノ中心に作り続け、塗装のやり方も
この頃覚えました。

高校生の頃、日米合作映画「トラ!トラ!トラ!」を観て一念発起。
ニチモの「97艦攻」を主翼折りたたみに大改造して作りましたが、
ヒコーキ模型はとてもムツカシイ・・・という印象から、この後ヒコーキ
は一切作りませんでした。

その後、漫画家目指したり就職などして模型から遠ざかりましたが、
結婚して子どもが出来てから、模型作りを再開しました。
それもなんと、1/72のヒコーキ!
苦手と思っていたヒコーキを作るとは・・・。なんとも不思議な縁です。

お気楽特撮&イラストいっぱいのおもちゃ箱サイトを運営中〜♪
http://www5.plala.or.jp/yoshinox/

オヤヂ博士

「客員学芸員・オヤヂ博士/本名 高見敬一郎」

昭和33年(国産第1号プラモ発売の年)会津若松生まれ。現在世田谷在住です。

 私は物心ついた時から駄菓子屋のプラ製玩具で遊び、4歳で初めて本格的なプラモ
デルを知り、小学生の時には既に「プラモデル」と聞くと胸がドキドキするような子
供になっていました。ほんの少しだけ思い出を振り返ってみると…。

 田宮の1/72「震電」を文房具屋のガラス越しに見て「逆さに飛んでいる!」と
びっくりし、モーターと電池込みの”235円”を大事に貯めて買いに行きました。
 同じく田宮の100円の自走砲「ロングトム」(M107の試作型)は何も考えず
説明書通りに組み立てたのですが、出来上がって砲身を上下してみると砲耳についた
シリンダーとピストンが連動して伸縮上下するではありませんか!子供心に「あ、実
物はここが伸び縮みして大砲を上下させるんだ!」と知りました。これが私に実物の
メカニズムを教えてくれた最初のプラモデルでした。
 バラストを分離して確実に自動浮沈するフジミの「バチスカーフ」、イマイの「サ
ブマリン707シリーズ」、モーターで走るミツワの「武蔵」、などは、当時遊んだ
お風呂の匂いやビニールプールの温かい水の感触と共に今でも忘れられません。
 童友社の「ヒノサムライ」は単純な前後進リモコンのキットでしたが、後進時には
バックターンをする楽しいもので、毎日犬を散歩させる様に従えて遊んでいました。
 ミドリの「キングモグラス」は当時のキャタピラ戦車としては抜群の走行性能を発
揮し、会津若松の雪の上で、飽きる事無く走らせました。
 長じて飛行機のようなディスプレイキットも作りましたが、こうして考えると私の
プラモデル遍歴は動くプラモデルを中心に進んできた様です。

 ところで、今より何倍もの新製品が次々と発売される当時でしたが、小学校の高学
年になると、他人と同じプラモデルを一緒になって追いかけることがちょっとつまら
なくなり、それまで自分が見逃したプラモデルに興味を持つようになりました。
 模型店に行くと棚の端っこや陰の部分に忘れられた古いキットを探し出しては「こ
れちょうだい。」とやっている変な子供になっていったのです。
 古いキットに愛着を持つという後ろ向き模型人生(^_^;)は、実は30年以上前の小
学生の頃から始まっていたわけです。

 これから動くプラモデルの楽しさと、古いプラモデルの魅力の再発見という2つの
キーワードで、研究と啓蒙の活動をしていきたいと思います。

http://home.s00.itscom.net/nekonii/









































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