「時代を超えて」

――――『 楽しい出会い』――――

テキトーオッサンこと永野サンと知り合ったのは数年前、
とあるベテランモデラーさんのサイトのBBSで昔懐かしい
8ミリ映画の話題が出たとき、二人して意気投合したのがきっかけでした。

その後、仲間内で開催したささやかな展示会に来てくださって……↓

http://www.tepproject.com/banana/contents/toybox/20020622.html

これを機会にご挨拶し、それ以来ずいぶんと仲良くしてもらっています。
以後、自分のサイトを運営しながら、テキトーオッサン主催の
この「ノスプラ」のお手伝いをさせていただいているのはご存じのとおりです。

テキトーオッサンと友達になってからしばらくは8ミリ映画や模型の話で盛り上がっていましたが、
そんな中でも驚いたのは、二人とも昔の米国・モノグラム社のプラモデルが大好きだというのがわかったときでした。
テキトーオッサンも僕も、ほぼ同じ小学生くらいのときにモノグラム製品と出会い、夢中になっていたのです。

……しかし、ちょっと考えてみてください。

テキトーオッサンと僕は、干支一回りほど、歳が違います。オッサンは僕の、人生の大先輩です。
その二人が、ちょうど同じ年頃にモノグラムと出会っている。

タイムスリップもののSF映画で、時空が歪んでしまったような感覚ですネ。

それもそのはず、1950年代後半〜60年代初頭にかけて発売されたモノグラム製品は、
その後何回もパッケージや内容に変化を持たせながら、そしてモノグラムという会社が他社に吸収された後まで、
数十年に渡って販売され続けていたので、世代を超えて多くの人々に愛されていたというわけです。

オッサンは少年時代の1960年代に、そのものズバリ外国から輸入されたモノグラム製品に夢中になり、
僕は70年代後半、日本のバンダイが輸入販売していた「バンダイ・モノグラム」ブランドのものを、
同じように夢中になって作っていたのです。

実は、これはモノグラムに限ったことではありません。
その他にもレベル、エアフィックス、イタラエレイ(現イタレリ)などの息の長い外国メーカー、
そしてタミヤやハセガワ、ニチモといった日本国内のメーカーも、
自社の製品を大切にして、驚くほど長い期間販売しています。

一度生産中止やメーカーの倒産などよって絶版になったとしても、
そのプラモデルを生産するための「金型」が消滅するわけではないので、
しばらくするとパッケージや発売元が変わってヒョッコリと
店頭に姿を現したりすることも珍しくありません。

そんなこともあって、およそ10歳前後の年齢差があったとしても、
それぞれの少年時代に同じプラモデルを作った経験があったりして、同じ話題で盛り上がれることが多いのです。
昭和40年生まれの僕は、もうかれこれ30年ほどこの趣味を途切れることなく続けてきましたが、
この趣味でのお友達はけっこう年上の方が多いにも関わらず、飲み会の席などでは、

「コレも作った!あっソレも作りましたよ!」
「これはけっこう作るのが大変だったでしょう?」
「このキットは丁寧に作ると、こんなふうに仕上がるんですか!?」

……などなど、年齢も、そして今まで住んできた土地も違うというのに、
まったく同じ時期に同じプラモデルを一緒に作っていた幼なじみでもあるかのように、
楽しくお話しすることが出来ます。

これは、本当に素晴らしいことだと思います。



―――― 『進化って何だろう?』――――

プラモデルは純粋に趣味のための品……嗜好品であり、生活必需品ではありません。
電化製品や自動車、食品などのような生活に密着したものではないため、
利便性や安全性、時代の流れを反映させて次々に進化していくこともなく、
そのために数十年も昔の品物が今でも店頭に並んでいるのは不思議でないかも知れません。
そのような「進化」とは無縁の品物なのかも知れません。

しかし、僕は「それだけではない」ような気がするのです。
懐古趣味で「昔のものは良かった」と思いこんでいるだけではないように思うのです。


「何十年経っても、良いものは、良い」

……そういう考え方が通用する「趣味を楽しむための良質な品物」だからこそ、
何十年も生き延びているプラモデルが多いのではないか?
そんなことを考えてしまいます。

もちろんこれは、模型メーカーが品質向上のための「進化」をサボっている、という意味ではありません。
数十年前の製品と現在の製品を比べると、恐ろしいほどの進化が見られます。

昔に比べて、多くの実物の資料が手に入るようになった状況を反映して、
より正確な形状が再現され、そして成形技術・金型技術などの発達によって部品もシャープになり、
より精密に、組み立てやすく……子供の頃からもう10年もプラモデルを触ったことがないという人なら、
一瞬自分の目のを疑うほどの進化をしています。

しかしこれも、これから数十年後に「昔、こんなすごいプラモデルがあったのだ」と
皆が思えるための歴史をつくっている……何十年も昔にモノグラムが取り組んでいたのと同じように
……模型メーカーが、歴史をつくっているのだと僕は考えています。



―――― 『楽しみ方の自由って何だろう?』――――

もう何年前になるでしょうか。ある模型専門誌で、
新製品の飛行機プラモデル(仮に、○×機としておきます)の紹介記事が載りました。

それを読んだ僕は、カッと頭に血が上りました。
模型誌のライター氏は、こんなふうに書いていたのです。

「今度A社から、○×機の最新キットが発売になりました。
○×機のキットは10年くらい前にB社が発売していましたが、
A社のキットがあれば古いB社のはゴミです。捨ててしまいましょう……」

ちなみに僕は、その○×機という飛行機には特に興味はありません。
それでも、新しいキットが出たから古いキットは捨ててしまえと言い放つこのライター氏の姿勢に、憤りを覚えました。
その本を買う人々は情報に飢えている。自分の興味のある○×機とそのプラモデルに関しては、
どんな情報も欲しいはず。そしてB社の製品を、発売当時お小遣いをはたいて買った人も多いはず。

なぜこのライター氏は……

「A社の製品の登場によってB社のキットは古さが目立つようになりましたが、
新旧の製品を作り比べるのも面白いでしょう」

「これで○×機のキットは2種類になりました。
それぞれのキットの特性を生かして塗装バリエーションなどで楽しむのはいかがでしょうか」

……といった書き方が出来なかったのだろう?

模型誌に書いている、ライターという立場はそんなに偉いものなのか。
購買者に「キットを捨てろ」と言い放てるほどの、何かの“権限”を持っているとでもいうのか。

実は僕は過去に、いくつかの模型誌に記事を書いたことがあります。
一時はレギュラーライターとして、新製品レビュー記事も担当していました。

しかし、正直に言って、自分が他人より偉いとか上手だと思ったことはただの一度もありません。
どうすれば、このキットを買ったみんながより楽しめるようになるのか。
どうすればこのキットの良さを伝えられるか。
それだけを考えて、誌面づくりの「お手伝いをさせていただいている」という気持ちで原稿を書いていました。
ですから、いわゆる正統派の模型専門誌の記事とは、ちょっと変わった感じの文面になっていたかも知れません。
しかし、僕は現状に対するささやかなレジスタンス運動のような気分もあって、そんな文を書き続けました。

プラモデルは「楽しむための素材」です。
楽しみ方に「正しい」とか「間違い」とか、そんなルールを作ってはいけない。
もちろん各種コンテストなどには、審査を的確にするための
レギュレーション、ルールというものが必要になってくるでしょう。
そのようなルールに従うのも、ひとつの楽しみ方かも知れません。

また、中には「ルールをつくってもらえないと、楽しめない」という指向の人もいるでしょう。

しかしながら、プラモデルは「素材」であることに変わりありません。

牛肉を買ってきたから、猫も杓子もステーキにして食わねばならないということはない。

牛肉という素材を使って、そのとき本当に食べたいと思う料理を作るのが、いちばん美味しいんです。

「塗装はこうしなければならない」
「こういう塗り方をしなければならない」
「この部分を必ずこう作り直さなければならない」
「この資料だけが正しい。それ以外の作り方はウソ」
「あのキットはダメ。こっちのキットだけが最高」
「動くのはおかしい。ただのオモチャ。ディスプレイに仕上げなければならない」
「いや、動かなければならない。動かないのはデクノボウだ」
「資料によると、A社のものよりB社のもののほうが正しいからA社のものは作ってはならない」
「ミリタリーものはダメ」
「いや、ミリタリーものこそ主流」

……こんな決めつけ、論争を、モデラーは何十年にもわたって、そして何回も何回も繰り返してきました。

そして、フと我に返って後を見ると……誰もついてこなくなった。
若い人々、少年たちがみな、プラモデルからソッポを向いた。

そんなめんどくさい、コウルサイ連中のひしめいている趣味なんか、頼まれたってやるもんか!
……若い人達は、みんなそう思っちゃった。

「模型メーカーが積極的に若い世代に売ろうと努力していない」
「マスコミがとりあげてくれないから、若い世代がプラモデルに興味を持たないのだ」


……これはどれも、責任転嫁です。

我々モデラーの「やりかた」が悪かった。
無意識のうちに、そして趣味を存分に楽しもうとして、逆にすべてを「がんじがらめ」にしてしまった。
これだけが理由です。

何十年も、世代を超えて楽しめる「プラモデル」という素材がいっぱいある。
それを自由に楽しむことが出来る。それがこの趣味の魅力。

自由って、何だろう? 自由に楽しむって、そしてその楽しさを伝えるには、どうすればいいんだろう?

モデラーが……つまり今後まだ何十年もこの「プラモデル」という趣味を続けていきたいと思っているみんなが、
今いちばん考えなければならないのは、このことだと思うのです。

これは、大変難しいことだと思います。
僕にもどうすればいいのか、まったくわかりません。

しかし、ひとつだけ言うとすれば……まずは「認めあう」ことから始めませんか?
自分と違った志向を持っている他人の作品を認めること。
評価すること。
自分の興味のない分野の模型であっても、その模型としての素晴らしさ、楽しさをキチンと評価できる感性を育てて
それぞれの個性が反映された作品を認めあう。

実は、こういう趣味の分野で、他人をけなすことはバカでも出来る。
称賛することは、難しい。その本質を知らなければ出来ないことだから。
その難しいことが出来てこそ「一人前の趣味人」といえるのではないか……。

「カーモデル」とか「AFV」とか「ヒコーキ」とか「ガンプラ」とか……それはもちろんジャンル分けはあります。

しかし、全部まとめて「楽しいプラモデル」なのです。
変に気取って「縄張り」を主張したり、どれが格上、どれが格下などと考える必要もない。
無意味です。
どれでも好きなモノを好きなように作って、また作られたものを見て、楽しめばいいのです。

技量も経験も、人によって違うのですから、単純にウマイ、ヘタがあるのはアタリマエです。
そんなことばかり見ていても何も始まりません。
しかし、どんな作品にも、ジャンルに関わらず作り手の個性は作品に必ず現れます。

プラモデルは大量生産品。
組み立て説明書に従って作り、色を塗れば、同じものが出来るはずなのに、それでも個性が出てしまう。

不思議ですよね? 面白いですよね?

このシンプルな楽しさに立ち返って、みんなそれぞれの個性を評価することから、
もう一度始めてみれば、何か良い答えが見つかるのかも知れない
……そんなことを、いつも、そしてずっと考えています。

Tac Miyamoto


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